※この記事は吉田寮ほぼ1000年祭パンフ用に書いたものです.パンフ読んだ方は重複になりますのでごめんなさい.
漆原友紀の「水域」(上下巻・講談社)という漫画がある.先日これを読んで,不覚にも泣いてしまった.涙腺は弱い方なのであるが,漫画で泣くのはかなり久しぶりだった.しかし,他の人に読んでもらって感想を聞いても,いい話だけど泣くほどのことではないといった評価.ちょうど祖父が他界した直後という状況もあって,感情が高ぶっていたのかもしれない.でも私は下巻など感情を抑える為に1ページずつ深呼吸しながら読んだのであった.電車の中だったから.話のあらすじを簡単に書くと,山奥の村の夢を何故か頻繁に見る少女,実はその村はダムの底に沈んだ母,祖父,祖母の生まれ故郷の村だったという話なのだが,実際私はこういう自分のルーツを探るような話に弱い.それには私の中のとあるコンプレックスが関係している―自分には「ルーツ」が無い!?無いというのは言い過ぎた.私には父がいて母がいて,祖父がいて祖母がいて,曾祖父がいて….確かにルーツはある.が,ここで私がイメージしているルーツとは土,土地のことである.私の両親はサラリーマン,祖父母もサラリーマンや自営業の家庭であって,いわゆる先祖代々の土地,家,村といったものが無いのだ.小さいころは,(田舎にある)おじいさんの家に遊びに行くという友達が羨ましくてしょうがなかった.自分が行く親戚の家には,田んぼも,きれいな川も,赤とんぼもいないのであった.しかもそこは彼らがどこからか越してきた土地であって,家は建売住宅.彼らはそこではよそ者であった.祖父母にも親がいて祖父母がいて,そこにはルーツの土地があるのかもしれないが,私はそれを知らない.そして私は自分を何か根無し草のように感じるのだ.
どうして自分はそんなにルーツの土地にこだわりを持つのか,なぜならそこは,「自分が無条件で帰れる場所」だからだと思う.「水域」にも,ダム反対闘争が盛り上がり,一度は村を出た人が戻ってくるという描写がある.ルーツの土地は,いつか還れる,いつでも戻れば自分をやさしく包み込んでくれる,そんな場所なのだ.「母なる土地」と言う言葉もある.ルーツの土地とは自分の先祖各々に対するそれぞれの母の愛が集積した場所なのかもしれない(非化学的ネ).結局私は愛に飢えているだけなのか.この思いは歳を重ねるごとに強くなるのである. まあ嘆いていてもルーツの場所は無いものは無いのだ.ならばどうするか.私はせめて子孫にルーツの土地を残したい.そう,どんな土地だって最初の人間がいて,次の人間がいて….そして時を経て,人のルーツの土地になるのである.私の今いるところの研究者の道は,「ルーツづくり」を考えればもっとも不利な,遠回りの道であるのは悩ましいところであるのだが(人生の目標を一つに定められればどんなに素晴らしいか.現実にはあれもしたいこれもしたいでどうにもならない.),その中で鶏を飼ったり,山羊を飼ったり,土,農にこだわったことをしているのは,自分のルーツを作りたいという願いがさせているんじゃないかなと私は思うのである.
アマゾンにならって除草に貸し出してはいかがでしょうか?
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