2012年11月16日金曜日

ヤギは妊娠しているか?

 メスヤギは基本的に21日周期で発情するとされている.
さて,当組合のユキは,2011年の10月にやってきた.発情すると昼夜構わず「べーーーべーーー」と鳴いて,飼い主を悩ませたものだったが,最近は全く発情が見られない.


2011年10月  ユキが吉田寮へ   21周期で発情する

2011年12月  白オスヤギが吉田寮へ  ユキは妊娠せず

2012年3月   この月まで白オスヤギと一緒に暮らす  ユキは妊娠せず,発情は21周期で確認

2012年5月   最後の発情

2012年7月   黒オスヤギが吉田寮へ

2012年9月   黒オスヤギとユキとの交尾を確認

2012年11月  未だユキに発情の兆候見られず


ヤギは品種によっては,周年発情ではなく秋から冬にかけてのみ発情するらしいので,ユキはそのタイプかもしれない.

とすると,ユキはもしかしたらすでに妊娠しているのかも?

ユキはまだ3歳半だから,妊娠できなくなってしまう年齢ではないと思うのだけど….

2012年11月12日月曜日

フィールドワークと自然畜産

 私の本業(!)は, フィールドワーク系の研究者(の卵←死籠かも)である.そんな私が大学院に入ってフィールドワークの門を叩いた時,先生から言われた言葉がある.

「フィールドワークにおいては,現場に問題を持ち込んではいけない.現場から問題を持ち帰らなければならない.そのために,とにかく現場に通え,そして観察しろ.そうすればおのずと問題は発見される.」

 これは今でも私の研究哲学である.だが昨今,論文数をただ競うばかりの成果主義の大学においては,これを実践するのは非常に難しい.曰く「時間の無駄」.だが,予め問題を設定して,先入観を持って現場に行って,果たして真理の探究において不都合は生じないのか?学者の仕事は,金を稼ぐことでも,論文を書くことでもなく,真理を探究することのはずだったではないのか?お前らは研究者であっても学者とは呼べんわっ!!

と,大学への愚痴はここまでにして(キリが無いからね),翻って畜産について考えてみると,実は前記の哲学が見事に適用できると,私は常々考えている.
畜産はフィールドワークと一緒.予め問題を設定しては,良い結果は生まれないのではないか.例えば,生産目標とか,品質基準とか,効率とかを予め設定してしまえば,結局は工業式養鶏であったり遺伝子組み換え飼料であったり,抗生物質の大量投与であったりにしか行き着くことはできない.何故なら,畜産における問題には,単に家畜の生理的な事だけではなく,天候であったり,季節であったり,性格であったりといったことが関係してくるからだ.
 だが自然畜産は違う.そこにはまず家畜が居り,我々のすべきことは徹底した観察である.ヤギとは,ニワトリとは,何を食べ,どのように寝,成長していくのか?何を求めているのか?その時の季節はいつか?天候はどうか?そしてそれらを観察し,その中から問題を発見し,試行錯誤によって解決を図るのである.

自然畜産については,一昔と比べてずいぶん理解が広がってきていると思う.それがフィールドワーク,研究の世界にも拡がる日が来るだろうか?
そして私は,今日もただ家畜を眺めている.

2012年11月9日金曜日

米糠

米屋より米糠60kg入手.15kgで500円でした.

何件かの米屋に米糠分けてくれって電話したけど,タダでくれるところは量が少なくて,量の多い大きな米屋は有料だった.京都は漬物作りが盛んだから,米糠も市場価値が高いのだろうか?


これから,ずっとやろうと思っていてできなかったヤギ小屋・鶏小屋の発酵床化や,オカラ,雑草嫌気発酵飼料(サイレージ)作成を始めようと企画中.

あとはドラム缶とオカラを手配しなければ….

2012年11月7日水曜日

薩摩地鶏赤笹種

この尾っぽの飾り羽が何とも美しいお気に入りのニワトリ.

外国鶏のような派手さは無いけど,茶色と黒で構成された日本的な美であると思う.
なにしろ,吉田寮の雰囲気にぴったりだ.


2012年11月5日月曜日

狸の解体

某所よりタヌキをもらったので,解体して狸汁にしました.
以下,血に弱い人は見ないほうがいいです.

タヌキ.なかなかの大きさです.


まず,頭部を切り離します.頭はこの後の皮なめしに使うので取っておきます.
 次に,肛門から首,四肢へとナイフを入れ,皮を剥ぎます.
脂肪が多いとうまく剥がれないので,皮と肉の間にナイフを入れます.
後の皮なめしを楽にするためには,このときできるだけ脂肪・肉を皮側に残さないようにしましょう.
 皮が剥がれたら,内臓を取り出します.まず肛門の周りを切開し,直腸を糸で結んで排泄物が流出しないようにします.
次に,胆嚢(写真中央右上の緑色の臓器)をつぶすと肉がくさくなって食べられなくなるので,周囲の肝臓ごと注意して分離します.
後は,適当に臓器を取り出します.内臓脂肪でくっついてる場所はナイフやハサミで切ります.心臓・肝臓は食べられるので別の容器にとり出して洗いましょう.




ヌキ汁.肉の臭みけしに最初にウーロン茶で煮て,生姜をたくさん入れています.
タヌキ汁というとよく,臭くて食えたもんじゃないとされていますが,このタヌキは臭みもほとんど感じず(というよりむしろ美味),おいしく食べることができました.
ヤギの場合もそうですが,結局動物の臭みは,餌に関係しているのではと考えています.魚粉入りの配合飼料は,成長は早いですが,独特の臭みが残る気がします.この点,今配合飼料ばかりで育てているジャンボウサギを解体してみれば明らかになるかもしれません.

次に皮なめし.タヌキの魅力はやはりふわふわした毛皮でしょう.今回は,このサイトを参考にして,いわゆる「脳漿なめし」に挑戦しました.

まず,剥いだ皮の裏面にこびりついている脂肪や肉片をナイフでそぎ落とします.これが一番骨の折れる作業です.コツはヒゲを剃るときのナイフの動きです.




肉片が大体取れたら,台所洗剤で洗い,少し乾燥させます.ここで,タヌキの頭がい骨から「脳みそ」を取り出し,ミキサーで粉砕します.それを鍋で温めて,皮に裏面に塗りたくります.タオルや素手を使って,刷り込むように塗ります.

後は板に打ち付けて,生乾きになるまで乾燥させます.




本日はここまで,なめしは次回以降に続く.

2012年11月3日土曜日

たまご

最近また,鳥がよく卵を産むようになりました.
今のところ日産5個くらいです.





産卵箱で産卵する横班プリマスロック雑種と,順番待ちする横班プリマスロック.
産卵は午前中に多く,大体30分以内に終わります.




産卵箱の卵.青いのはアローカナの卵です.
産卵する個体によって,微妙に大きさや色が違います.
慣れてくると,卵を見ただけでどの鶏が産んだ卵かわかるようになりますよ.
白いのは大理石でできた偽卵で,産卵させたいところにこれを置いておくと,
鶏は前にも卵を産んだ安全な場所だと勘違いして,卵を産むようになります.




卵は吉田寮受付で販売.鶏のエサ代に.
左上から時計回りに,横班プリマスロック,アローカナ,横班プリマスロック雑種,横班プリマスロックの卵.



おまけ.引っ付き虫だらけのリク




2012年11月1日木曜日

そこに愛はあんのかい?

ブログの更新が少ないとの指摘を受けたので,今日から頑張ってたくさん更新する.いつまで続くかわからないけど.


昨日は深夜に雨の音で起きて,ヤギを外に繋ぎっぱなしだったので回収して小屋に入れに行った.

家畜を飼い始めてから雨の音に敏感になって,必ず起きてしまう.大事なヤギを風邪で死なすわけにはいかないから.やっぱし愛情を持って育てないと,おいしい肉はできないし(と信じることにしている),そもそも家畜を「殺して」肉にするという行為自体,それを愛情(=責任)を持って育てたものであるからこそ意義があると思う.ただ殺すだけなら,どこかで貰ってきた動物を殺せばいいのであって,わざわざ飼育する意味などないわけである.また,愛情をもって育てたということは,家畜を資源として無駄にしないということに繋がる.スーホが馬頭琴を作ったように,愛情を持って育てた家畜ならば,それこそ骨の髄まで,利用してやろうという気になる.そしてそれこそが,本当の動物愛護につながるのだ.だって,そんな動物を残虐な方法で殺したり,必要もないのに殺したりしないでしょう.「イルカかわいそう」「ニワトリかわいそう」より「動物を育てて食べよう」って主張するべきですよ,愛護団体の方々は.

「動物の命を奪う」という行為は,自分の命を大切に思うすべての人にとって(なんか「死にたい」とか口癖のように言っている学生がいるが,大体そんなことを他人に言うこと自体,自分の命に執着している証拠である),特別な行為であり,非常に責任の重い行為である.からして,本来的には自分が食べる肉は,自らが殺して得るべきである(これが理想).もちろん,これは非現実的なことであるから,我々はお金を払って,これを他人に代行させているのだ.だがしかし,多くの人が,肉を喰らいながら一生屠畜をせずに(さらには見もせずに!そんなことが行われていることに気づきもせずに!!!)いるのである.これは非常に不自然ではありませんか.「肉を喰らって生きること」の責任から逃亡しているのですよ.

自分が吉畜協を始めたのは,そんな机上の理論を自分の実体験し,また寮生(+周辺の人)と共有したいからであるのだけれど,残念ながらまだまだ.「動物を殺して食べること」が単なるエンターテイメントとしてしか捉えられていない節がある.そもそも屠畜という行為はいわゆる特別なこと(モンゴルや中東で家畜をつぶす日は,客人をもてなしたり神に祈ったりするための特別な行為であることを想像してもらいたい)であるから,屠畜がエンターテイメント性を持つのは当然のことであるのだが,屠畜する動物が愛情を持って育てたものであれば,そこに「感謝」が生まれる.これが重要で,「感謝(それが動物に対してにしろ神に対してにしろ)」が無くてエンターテイメントだけなら,風呂場で猫を猟奇的に解体する人と同じだよ.「いつウサギを殺すのか?」「ニワトリ喰おうよ」とか言ってくる人がいるけど,おいおい「そこに愛はあるのかい?(これ「一つ屋根の下」というドラマで,江口洋介が言ってた決め台詞ね)」.


まとめ
1,自分の喰う動物の命は,できる範囲で,責任を持って自分で奪おうよ.
2,自分が食べる動物に愛を持とう.そうすれば自動的に感謝が生まれ,しいては動物愛護,持続  可能社会の実現につながるよ.



ただ日記を書こうと思ったら,アジテーションになってしまった.
でも今の学部生とか,スーホの白い馬とか,一つ屋根の下とか知らないかもね.ggrks.