2012年11月12日月曜日

フィールドワークと自然畜産

 私の本業(!)は, フィールドワーク系の研究者(の卵←死籠かも)である.そんな私が大学院に入ってフィールドワークの門を叩いた時,先生から言われた言葉がある.

「フィールドワークにおいては,現場に問題を持ち込んではいけない.現場から問題を持ち帰らなければならない.そのために,とにかく現場に通え,そして観察しろ.そうすればおのずと問題は発見される.」

 これは今でも私の研究哲学である.だが昨今,論文数をただ競うばかりの成果主義の大学においては,これを実践するのは非常に難しい.曰く「時間の無駄」.だが,予め問題を設定して,先入観を持って現場に行って,果たして真理の探究において不都合は生じないのか?学者の仕事は,金を稼ぐことでも,論文を書くことでもなく,真理を探究することのはずだったではないのか?お前らは研究者であっても学者とは呼べんわっ!!

と,大学への愚痴はここまでにして(キリが無いからね),翻って畜産について考えてみると,実は前記の哲学が見事に適用できると,私は常々考えている.
畜産はフィールドワークと一緒.予め問題を設定しては,良い結果は生まれないのではないか.例えば,生産目標とか,品質基準とか,効率とかを予め設定してしまえば,結局は工業式養鶏であったり遺伝子組み換え飼料であったり,抗生物質の大量投与であったりにしか行き着くことはできない.何故なら,畜産における問題には,単に家畜の生理的な事だけではなく,天候であったり,季節であったり,性格であったりといったことが関係してくるからだ.
 だが自然畜産は違う.そこにはまず家畜が居り,我々のすべきことは徹底した観察である.ヤギとは,ニワトリとは,何を食べ,どのように寝,成長していくのか?何を求めているのか?その時の季節はいつか?天候はどうか?そしてそれらを観察し,その中から問題を発見し,試行錯誤によって解決を図るのである.

自然畜産については,一昔と比べてずいぶん理解が広がってきていると思う.それがフィールドワーク,研究の世界にも拡がる日が来るだろうか?
そして私は,今日もただ家畜を眺めている.

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