2013年1月11日金曜日

草刈る人々

 ヤギの繋牧のせいで,吉田寮の周りは着実に砂漠化が進行しています.ヤギのエサの確保も一苦労.たったヤギ2頭なのに.

  さて,家畜が農耕の主役として一般的に飼われていた時代,エサの確保はどうしていたのでしょうか?一説によると,牛や馬を使って米を作るには,餌用として水田の5-10倍の面積の草場が必要であったと言います(1).しかし,現在日本の農山村を見渡しても,なかなか草原というものは見かけません.村の周りには,田畑の他は山しか無い場合がほとんどです.ではどこから草を得ていたのでしょうか?

 実は,日本の里山と呼ばれる山の多くは戦後植林されたもので,昔は草原の山だったのです.そしてそこに生えている草を刈ってきて家畜の飼料としていました.現在,日本の草地面積は国土の1%未満ですが,例えば江戸時代,河内国では山の半分が草原で覆われていたと言われています(2).日本では,放っておくと草原は森林になってしまうので,草の山では山焼きを行って草原植生を維持していました.草刈山は所謂村共有の入会地とされていましたが,入会地が少なかったり,村から遠かったりする集落では特に草刈は苦労するものだったようです.

 吉畜協でも,ヤギ小屋の敷材用に草刈りに出かけたのですが,なかなかいい場所が無く結構遠くまで刈に行きました.二人で1時間強作業して,1坪半のヤギ小屋に敷き詰められるぐらいのススキが刈り取れましたが,これを毎日のように繰り返していたと思うと,先人たちの苦労が偲ばれます.何せ,私たちは草刈り場から車で草を運びましたが,昔の人は背負って運んだのですから.


参考文献:
(1)宮本常一, 2007,日本人の住まい,農山漁村文化協会
(2)小椋純一, 2006, 日本の草地面積の変遷, 京都精華大学紀要第三十号

1 件のコメント:

  1. そうなんだ。よく調べたね。すばらしい!
    昔は家畜の世話は子どもが担ってた部分もあるのかね。食育の一環で家畜の世話とかさせると肉のありがたみが感じられそうだね。

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