2013年2月15日金曜日

狩猟と自然と

2月14日,NHKクローズアップ現代「ハンターが絶滅する?」にコメンテーターとして吉田寮OBである千松さんが出演していました.寮では急遽テレビを設置して15人くらいが視聴したそうです.その感想.

結局問題は,番組でも指摘されていたが,「狩猟は儲からない」という事だと思う.それでも今までは,猟友会と言う「趣味の人たち」が努力してきたおかげで,何とかなってきた.まずは今までが,親切な人たちの献身的な努力によって奇跡的に成り立っていたのだということを認識しなければならないだろう.国や自治体は,狩猟を儲かる産業へと変える努力をしてほしい.そのためには,

1,有害鳥獣駆除に関して適正な成功報酬(または出動手当)の基準を作ること

2,野生動物を食肉として流通させるための法整備

が必要であると思う.

1については収入の安定の観点からして,登録したハンターに対して月額で支給する制度を導入すべきである.で,金額は食肉の販売と合わせて十分に生活していけるだけの額とすべきである.

2について,日本では動物の食肉処理に関しては「屠畜場法」があるが,それが対象としているのは「牛,豚,ウマ,ヒツジ,ヤギ」だけである.そしてそれ以外の動物は「屠畜場」に持ち込むことが禁止しされている.だから例えばイノシシについては,食肉として売るにあたって特に法律の制限はないのである(市町村で別に条例を定めている例はある).これは一見自由でいいようにも思えるが,野獣肉を使用する飲食店側からすれば「安全である」というお墨付きが無いわけで,これでは食中毒のリスクを考えれば野獣肉の利用が広がらないのも当然である.そこで,山間部の小規模な事業体でも許可を取ることができるような,認定野生動物屠殺場制度みたいなのを創設すべきだ.ここで間違っても既存の屠殺場で野獣を解体させるような制度にしてはいけない.なぜなら屠畜場は大抵都市近郊にあるので,山間部kらの輸送コストだけで野獣肉が割高になってしまうし,そもそも山間部でのせっかくの雇用機会を奪ってしまうからだ.



閑話休題

 これは番組内で千松さんも言っていたことだが,「自然は管理(メンテナンス)しなければならない」ということを我々は改めて認識しなければならない.はっきり言って少なくとも本州には「原始の大自然」なんてものはほぼ存在しない.今ある自然は,我々の祖先が,それこそ縄文時代から脈々と作り変えてきたものである.そして我々の社会はその改変された自然の上に成り立っているのであるから,それを守るためには改変された自然をメンテナンスし続けていかなければならない.

 現在日本各地で農作物が野生動物に荒らされる被害が急増していて,そのために農地全体を電気柵で囲むといったことが成されている.こうなるとつい「ああ人間が自然を改変しすぎたせいで生態系のバランスが崩れてしまったのだ--」などと考えてしまうが,そうではない.むしろこれは日本の本来的な姿であるのだ.江戸時代の前ごろまでは,特に山間部では日本の農地は野獣の被害を避けるため柵で囲われている所が多かったのである.日本各地に「垣内」という地名が見られるが,これはその名の通り柵に囲われた内側と言う意味である.その後狩猟の進歩や周囲の開拓によって野獣の数が減り(この裏には先祖代々の血もにじむような努力があったことを心得よ!),柵が無くても作物を作れるようになった.つまり野獣被害の無い農村というのは,人間の自然改変の結果なのである.
 だが,一度作ったトンネルもメンテナンスしないと崩落してしまうように,改変した自然もメンテナンスが必要である.安倍首相は国土強靭化などと言うスローガンで,200兆円を投じて既存インフラのメンテナンスをするようだが,その予算の一部でも,改変した自然のメンテナンスに回してくれればと思う.緑の里山,谷間の農地.それこそが,保守の守るべき「美しい日本」ではないのでしょうか?

1 件のコメント:

  1. ブログ楽しく拝見させてもらっています、コメントさせていただきます、福岡県の山奥の農民です。ブログもしていますので、もしよろしければ見てください。
    (http://blog.livedoor.jp/shyanty/)
    天下の京大生、その上吉田寮の猛者にコメントをするのは気が引けますが、現役農民の声を聞いてください。
    山が荒れ、農地も荒れ、猪や鹿、アナグマその上に外来のアライグマにせっかく作った作物は食い荒らされて、高齢化の農村は疲弊しています、年金生活者の団塊の世代がかろうじて農地農村を維持しているような状態です。
    何で中山間地の農村が疲弊しているのか、農村では便利で物質的に豊かな生活が出来ないためだと思います。
    戦後の進駐軍によるアメリカ的価値観の洗脳工作の成果だと思います。
    しかし、物質的に豊かになった現在の日本で、多くの国民が幸福感を感じられない矛盾、その反面崩れかけの古い寮に住み何かを求めて一生懸命もがいている若者がいる事実。
    私はある程度の経済的な施策も必要かもしれませんが、人生に対する価値観にあると思います。
    貧しいことが悪であるとゆう価値観にあると思います。
    ブランド物の服を着なくても、レクサスではなく軽トラしか乗れなくても、それのどこが悪いのか。
    農村では都会では味わえない自然の素晴らしさや恐さを体験できる。
    そしてその中から自然の法則を知り、自然の中で生かされている人間が自然と調和してどう生きるべきか教えられる。
    だから江戸時代の文化文明は素晴らしく、自然と調和した秩序正しい社会が運営されていたのだと思います。
    お金持ちが尊敬される社会でなく、その人の生き方が評価される社会、幕末の志士は下級武士で貧しかったけれど国を思い民を思い志は高かった、そんな人が尊敬される社会。
    哲学の京大から、価値観を変える、自然と調和して生きていた本来の日本人の価値観に戻す、そんな考えの現代の志士が現れればと期待します。
    強欲に取り付かれた隣の国の現状を見れば、物質的な豊かさを追い求めた末路が予測できます、日本がそうならないように、世界がそうならないように、今が大切だとつくづく思います。
    山奥の農民の戯言にお付き合いいただきありがとうございました、今後の記事を楽しみにしています。


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